今から約2200年前、秦(しん)の始皇帝は不老不死の薬を欲し、徐福(じょふく)という者に不老不死の薬を探索させました。薬を求めて徐福が向かった地は、東の海に浮かぶ仙人が住む島にある聖地「蓬莱」です。この徐福伝説は日本各地に残っており、その数は全国に20ヶ所以上にのぼります。その内の一つが、現在の京都府北部に位置する丹後半島(たんごはんとう)。
今となっては徐福が上陸したのが丹後半島なのか定かではありませんが、徐福がやってきたとさせるころから、丹後半島は稲作・農耕・鉄製品の加工・機織・酒造り・医療薬学など、秦(中国大陸)からもたらされた技術により発展し、その後「丹後王国(たんごおうこく)」(4世紀~5世紀)が築かれる基となりました。古墳時代、丹後・丹波(京都府中部)・但馬(兵庫県北部)を合わせて「大丹波国(おおたにわこく)」とも言われる勢力の中心地であった丹後には、約6,000基の古墳があり、与謝野町には全長200m級の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)・蛭子山古墳(えびすやまこふん)もあります。
青龍3年(西暦235年)という日本で一番古い年号を記した「方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう)」という銅鏡が、京丹後市にある大田南5号墳から出土するなど、古代の丹後地方が大きな勢力をもっていたことを物語る遺物が数多く発見されています。
現在も丹後半島には当時の繁栄を物語る史跡が多く残っています。京丹後市内から発掘された考古資料や、丹後王国の歴史を紹介している「丹後古代の里資料館」も、丹後半島の歴史に触れることのできるスポット。史跡や資料館をめぐって、古代丹後のロマンを感じてみてはいかがでしょうか。