毎年8月16日に宮津市で行われている宮津燈籠流し花火大会(みやづとうろうながしはなびたいかい)ですが、今年は新型コロナウイルスの感染拡大の状況を踏まえ、中止となりました。8月16日といえば、京の夏を代表する行事「五山の送り火」が行われる日。どちらもご先祖の霊・精霊をお送りするお盆の行事です。今年は五山の送り火も規模を縮小して行うことが決定されました。お盆の伝統行事がいつも通り行われないことに寂しさを感じるかもしれませんが、しっかりと感染対策をとって夏を過ごしたいですね。
宮津燈籠流し花火大会は日本三大燈籠流しの一つと言われ、江戸時代から続く伝統行事。1924年に現在の形になりました。例年、精霊船と約1万個の紅白の追っ掛け燈籠が海面を漂い、約3,000発の打上げ花火が夜空を彩ります。
この宮津燈籠流しは、宮津周辺の歴史と大きな関わりがあるイベントもあります。
昔、細川藤孝(幽斎)が丹後に入国して海辺に宮津城を築き、城下町が形づくられました。ところが、関が原の役の年に細川勢が上杉征伐に出払っている間に攻められ、留守を守っていた藤孝は宮津城を焼いて田辺(いまの舞鶴)に退きました。その後、丹後に入国した京極氏が田辺から職人や商人を呼び寄せて再建。その頃から城下の人々は、盆に迎えた先祖の霊を、ふたたび極楽浄土へ送るため、供物にささやかなともしびを添えて海へ流したのが、燈籠流しの始まりと言われています。
やがて海へ流す供養火の美しさが評判となり、多くの見物客を迎えるようになりました。新仏の家から流される「精霊船」を囲むように、一万有余の「追っ掛け燈籠」がゆらゆら宮津湾に流れはじめ、約3,000発の打ち上げ花火が大空にはじけ、海と空が一体となる火の祭典です。
残念ながら今年はこの美しい祭典を目にすることはできませんが、宮津の歴史や燈籠流しの本来の意義を考える機会としてみてはいかがでしょうか。