皆さんこんにちは!京都大好きライター、沢本ゆきです。
突然ですが皆さん、『丹後七姫伝説』をご存知でしょうか。丹後の歴史を彩る七人の女性にまつわる伝説のことで、以前ご紹介した浦島伝説に登場する乙姫様もその一人です。今回は丹後七姫伝説の中から、愛を貫いた歌姫、静御前のお話をしたいと思います。
静御前は網野町の磯に生まれ、幼少期を丹後の海辺で過ごしました。父親の死後、母親である磯禅師とともに京都に上った静は、巧みな舞とその美しさで指折りの白拍子へと成長します。各地で舞を続けるうち、源義経に見初められ側室に迎えられたのです。
やがて義経の子を身に宿し、幸せな生活を送っていたのですが、壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼした義経は戦いの後、義経の兄、源頼朝に追われる立場となってしまいます。吉野へと逃げる途中で離れ離れになってしまった二人。身重の静は頼朝に捕らえられ、鎌倉へと送られました。その時、静御前が源頼朝の前で舞ったのは有名な場面ですね。
「吉野山 峰の白雪ふみわけて 入りにし人の跡ぞ恋しき」
吉野山の白雪を踏み分けて姿を隠してしまったあの人が恋しい。もう跡しか見えないけれど、その跡すら愛おしい。
「しづやしづ しづのをだまきくり返し 昔を今になすよしもがな」
静や静、と繰り返し呼んでくれたあなた。おだまきの糸が巻くようにあの昔の日々を今に繰り返せたらいいのに。こちらも静御前の歌としては非常に有名ですね。
丹後に戻った静は義経の無事と我が子の冥福を祈りながら、二十余歳という若さでこの世を去ったと言われています。静御前の終焉地については諸説ありますが、生誕地である網野町には静神社が建てられ、静御前を模った木像が祀られているのです。
一途に義経を愛し続けた静御前。愛した義経とは生き別れ、残された子供も失い、ひっそりと生涯を閉じた静御前の気持ちを思うと、思わず涙を禁じえません。どうも歳を経るごとに涙腺が弱くなっていけませんね。最近はお酒を飲むとすっかり泣き上戸です。
悲劇的な結末を迎えながらも、深い愛で結ばれていた静御前と義経。今夜はそんなふたりを偲びながら、丹後の地酒で献杯することにします。