京丹後市丹後町袖志地区(きょうたんごしたんごちょうそでしちく)は、京都府の最北端、経ケ岬(きょうがみさき)灯台の麓にある半農半漁の営みが残る集落です。農林水産省主催の第7回美しい日本のむら景観コンテストにおいて「むらづくり対策推進本部長賞」、また同省主催の「美しい日本のむら景観百選」も受賞しました。
袖志の棚田はこの地区にある、日本海に面した400枚の棚田。「日本の棚田百選」にも選ばれた、自然と暮らしが一体となった美しい棚田です。
丹後に住む多くの人々の象徴でもあり誇りでもある袖志の棚田。そんな棚田ですが、人口減少による担い手不足という問題を抱えています。約15%が休耕田となり、このままでは棚田を維持していくことが困難と言われています。
そこで、棚田の再生を目的とし始まった【袖志の棚田再生プロジェクト】。2010年4月、地元出身の大学院生や有志の提案を受け、休耕田だった2枚の棚田を約15年ぶりにおこし、1年を通じ田植えなどの活動が行われました。毎回都市部の大学生が袖志を訪れ、地元の人々との交流を深めていきました。
大学生にとっては袖志の全てが新鮮。その大学生たちとの交流は、袖志の人々が見慣れてしまった価値を再認識するきっかけとなりました。それに伴い、人々の中に「棚田を守り地域を元気にするんだ」という意識が少しずつ芽生えていったのです。
2011年3月、棚田保存のための機運を無駄にしてはいけないと、「袖志棚田保存会」が設立されました。体験・交流事業と再生した棚田の維持管理、有料会員制の導入と袖志棚田米のブランド化による地域全体の活性化を事業内容とし、「ヒトと資金」が循環する仕組みの構築を当面の目標としました。
大学生のみならず、社会人もボランティアに参加するようになり、都市部のイベントでの試作販売やPR等の動きも活発化してきました。しかし、活動主体としての組織は設立されたものの、地域内で協力体制が確立していないといった問題も残っていました。
「棚田の保存のためには、地元が中心にならなければ」という想いを胸に、保存会は地元袖志住民対象の会員制度導入を決定を決定し、協力者の声かけを行ったところ、多くの人々が協力を申し出ました。また、口コミやfacebookでのPRの結果、ボランティア参加者や会員数も増加。さらに数枚の休耕田が再生されました。
棚田再生プロジェクトの開始から現在までに25a(1aは10m×10m)もの棚田が再生され、毎年秋になると、再生田にはたくさんの人々の想いが詰まった黄金の稲穂が実ります。高齢化・人口減少が進む袖志地区は世界でも高齢化の進行が顕著な日本の縮図とも言えます。多くの人々の想いを乗せた棚田を未来へ引継いでいくことは、日本の、そして世界の未来を考えることにつながっているのではないでしょうか。