皆さんこんにちは!京都大好きライター、沢本ゆきです。
久美浜湾の南東にせり出した形で位置する兜山の山頂に『熊野神社』があるのをご存知でしょうか。久美浜町が京丹後市になる前の熊野郡という地名は、この熊野神社に由来しています。さて、この熊野神社には、これまでこのエッセイでもご紹介してきた『丹後七姫伝説』の一人、川上摩須郎女(かわかみますのいらつめ)が関係しているのです。大和朝廷の頃のお話ですから、七姫の中でもとりわけ歴史の深いこの姫のお話をちょっとのぞいてみましょう。
川上摩須郎女は、丹波国の豪族川上摩須の娘として生まれました。当時、丹波の国王として君臨していた丹波道主命の妻となり子をもうけます。そのうちの一人『日葉酢比売(ひばすひめ)』が垂仁天皇の后となり、そのまた息子の大足彦(おおたらしひこ)が12代景行天皇になりました。ちなみにこの景行天皇の息子が伝説上の英雄、日本武尊(やまとたけるのみこと)であると言われています。何やら壮大なお話になってきましたね。
冒頭でお話した熊野神社は、丹波道主命と摩須郎女の娘たちが皇后になったことを喜び、兜山の山頂に建立したものなのです。娘たちがたくさん天皇に嫁いだことで、当時の朝廷と深いつながりができ、大きな勢力を持っていたというわけですね。お祝いに神社建てちゃうぐらいですから。現代で言うと石油王ぐらいの大金持ちだったんでしょうか??
丹後には多くの巨大古墳が残っています。中でも銚子山古墳は、網野町中心部に作られた全長198mに及ぶ前方後円墳で、日本海側では最大の古墳なのです。諸説ありますが、丹波道主命はこの古墳に眠っていると言われています。巨大古墳がたくさんあることや、発掘された出土品から、丹後半島にはガラス細工や製鉄などきわめて高度な技術を持った民がおり、『古代丹後王国』として独立した勢力を持っていたのではないか…?という説もあるんですよ。まだまだ謎がいっぱいの古墳時代、歴史的ロマンを感じながら古墳めぐりもいいですね。
兜山の頂上にある展望台からは、小天橋や大明神岬など久美浜湾の美しい眺めを堪能することができます。沿岸では牡蠣の養殖がおこなわれていて、たくさんの牡蠣棚が並ぶ様子は自然の風景と相まって特徴的な景観を織りなしています。古墳めぐりで丹後の歴史に触れた後は、これから冬にかけて美味しさを増す牡蠣をいただくのがオススメ!美味しい牡蠣でおなかいっぱい、壮大なロマンで胸いっぱいになれること請け合いですよ♪