8月6日は「ヒロシマ」 8月9日は「ナガサキ」 8月に入ると、各メディアからの情報によって少なからず戦争について考える機会が増えます。そして8月15日、毎年めぐってくる終戦の日。2024年は79回目を数えます。戦争を直接経験した方たちも時の経過とともに少なくなっています。
戦争を知らない人が増えるなか、わたしたちは終戦記念日をどのようにとらえていけばいいのでしょうか。少なくとも戦没者への弔意とともに世界の恒久平和について考えてみることが大切ではないでしょうか。
豊かで美しく楽しい海からの恩恵を享受できるのも平和があってこそなのですから。「京都の海」エリアにある戦争の記憶や記録を巡ることで、見て学んで平和につなげていただけたら幸いです。
平和を考えるためには戦争に至った歴史を知ることも重要です。
なぜ軍備が必要だったのか、なぜ舞鶴が軍港に選ばれたのか、軍港都市には何が必要でどのように発展したのかなど、今まで知らなかったことを学んでみてください。
そんな学びの手助けとなる施設が舞鶴にはたくさんあります。今や舞鶴を代表する観光施設である赤レンガ倉庫群を筆頭に建造物にトンネルや橋梁など海軍関連施設が現存しています。また、五老スカイタワーからは舞鶴港を一望できますので理解が深まると思います。
そしてもちろん、今も日本海における海上自衛隊の最重要拠点である舞鶴には護衛艦やイージス艦が停泊しています。見学情報などをチェックして学びを深めてください。
舞鶴には海軍が築いた砲台がいくつも残っています。浦入砲台、葦谷砲台、金岬砲台、槙山砲台、建部山保塁砲台といい、いずれも明治30年代に築かれたものです。それらは軍港を守る目的で湾口の岬や山頂に設置されています。中には、戦後長い間放置されたまま未だ観光地として整備されることなくひっそりと当時の姿をとどめているものもあります。
また、軍港建設の資材輸送のため鉄道を敷設しています。今も残るJR舞鶴線第六伊佐津川橋梁、JR舞鶴線第三伊佐津川橋梁、北吸トンネル、真倉トンネルが明治30年代に築かれたものです。
昭和20年第二次世界大戦が終わり、すぐには日本に帰ることができずに多くの国や地域に日本人が残されました。約660万人もいたそうです。日本人を帰国させるべく「引き揚げ」が開始され、舞鶴では昭和20年10月7日に最初の引揚船が入港し、13年間で66万人の引揚者を迎え入れました。その記憶を後世に継承し平和の尊さを発信していく場として昭和63年4月に開館したのが舞鶴引揚記念館です。
シベリアの地で使用したコートなどの防寒着をはじめ「引揚證明書」などの文書類など全国から約1万6千点の貴重な資料の寄贈を受け、常設展示にて1000点を超える展示が行われています。
記念館横の桟橋が見える丘に上がると異国の丘・岸壁の母の歌碑などもあります。
シベリアに抑留されていた兵士が、はるか遠く離れた故郷への思いを歌った「異国の丘」。戦地から引揚船で息子が無事に帰ってくるのを港の岸壁で待っていたお母さんたちを歌った「岸壁の母」。改めて歌詞を読むと平和を願わずにはおれません。
記念館の近くにある引揚桟橋は多くの引揚者が祖国への第一歩を記した場所といわれ、現在は復元され記念碑が設置されています。