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【歴史】舞鶴に残る “引き揚げ”の記憶

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第二次世界大戦の終結後、多くの日本人が、旧満洲(現・中国東北部)や朝鮮半島をはじめ南太平洋など多くの国や地域に取り残されました。その数は約660万人と言われています。これらの人々を速やかに日本に帰国させるために開始されたのが「引き揚げ(ひきあげ)」です。そして全国に18の引揚港が設置され、その一つであった舞鶴港も、戦後13年間にわたり各地から引揚者を迎え入れました。その記憶は、今も訪れる人々に平和の尊さを語りかけています。

 

多くの引揚関係資料が残る舞鶴引揚記念館

  1. 丘の上に整備された引揚記念公園
  2. 引揚記念館には当時を語る資料が残されています

舞鶴が迎え入れた引揚者の多くは、シベリアに抑留されていた人々でした。舞鶴引揚記念館(まいづるひきあげきねんかん)には、第二次世界大戦終結後に旧ソ連によってシベリアに抑留された人々の体験を描いた絵画や、家族への手紙、抑留時に書かれた日誌などの貴重な資料が展示されています。収蔵資料の約半分は2015年にユネスコ世界記憶遺産にも登録されました。

悲しみと喜びが生まれた引揚桟橋

  1. 復元された平引揚桟橋
  2. 多くの人々が引揚船を出迎えました

引揚桟橋(ひきあげさんばし)は、終戦以来約66万人の引揚者と約1万6千の遺骨を迎え入れ、多くの悲しみと喜びが生まれた場所で、終戦と平和の象徴的スポットです。その歴史を残すために、1994年に復元されました。
13年間にわたる引揚業務の中で、のべ346隻の引揚船と約66万人の引揚者を受け入れた舞鶴港。舞鶴の人々は、引揚者たちに食べ物などを振る舞い、温かく迎えたといいます。

 

歴史を学び、後世に伝える

戦後70年以上たった今では戦争を知らない世代が増え、引き揚げの記憶も徐々に薄れてきてしまっています。しかし、だからこそ戦争の歴史を物語る場所や施設の存在が、より重要になってきているとも言えます。舞鶴港の歴史と切っても切り離せない「引き揚げ」。かつての記憶に思いを馳せてみましょう。

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